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野呂川地区の治山事業

山梨県南アルプス市

美しい南アルプスの景色。登山者に人気のこの地域は、氷河の痕跡を残す高い峰々を頂く、深い森に抱かれた山岳地です。多種多様な高山植物やライチョウなどの豊かな生態系が見られ、南アルプス国立公園に指定され、またユネスコエコパークにも登録されています。しかしこのような美しい景観と生態系をはぐくむ南アルプスの山地には、大小の山崩れが無数にあり、石ころでいっぱいの渓谷が数多く見られることをご存知でしょうか。

美しい南アルプスの景色。登山者に人気のこの地域は、氷河の痕跡を残す高い峰々を頂く、深い森に抱かれた山岳地です。多種多様な高山植物やライチョウなどの豊かな生態系が見られ、南アルプス国立公園に指定され、またユネスコエコパークにも登録されています。しかしこのような美しい景観と生態系をはぐくむ南アルプスの山地には、大小の山崩れが無数にあり、石ころでいっぱいの渓谷が数多く見られることをご存知でしょうか。

南アルプスと呼ばれる山岳地帯は、地理学上は「赤石山脈」あるいは「赤石山地」といわれます。北岳、赤石岳など標高3000mを超える高峰を13座有しており、本州が逆「く」の字に折れ曲がった部分にあるフォッサマグナの西端に存在する糸魚川-静岡構造線 ※1と、 日本列島を九州から関東地方まで東西につらぬく中央構造線 ※2とがぶつかる位置にあります。中央構造線は静岡県内で東西方向から南北方向へ湾曲し、これと糸魚川-静岡構造線とに挾まれたくさび状の部分に赤石山脈が形成されています。

日本の構造線

この中央構造線の湾曲は、伊豆・小笠原・マリアナ島弧の本州への直交衝突によって引き起こされたもので、南アルプスはまさにこの衝突によって、この100万年間のうちに急速に隆起したと考えられています。この間の隆起速度は約3㎜/年以上で、これは世界でもトップクラスの隆起速度であったとされています。このような激しい地殻変動の影響により、一帯は非常に脆い地質構造を有しています。

尾根付近から大きく崩れた崩壊地

尾根付近から大きく崩れた崩壊地

土砂を生産し続ける脆い山肌

土砂を生産し続ける脆い山肌

今も伊豆・小笠原・マリアナ島弧は衝突を続けており、この地殻変動は現在進行中です。糸魚川-静岡構造線系その他複数の活断層が影響し、南アルプスは火山を除くと日本列島で最も活発に隆起している地域のひとつといわれています。※3

野呂川本流

野呂川本流

南アルプス北部に位置する野呂川は、脆い地質に加え、温暖多雨な気候、高地部での凍結と融解が相まって、周辺は国内でも有数の土砂災害の多いエリアとなっています。野呂川は、富士山に次いで国内2番目に高い北岳(3192m)の周囲を巡るように流れ、西側には仙丈ヶ岳、東側には鳳凰三山、いずれも3000m級の山々に挟まれ、深い渓谷を刻んでいます。川に沿って南アルプス林道が敷設され、当地観光の重要路線となっています。

川の周囲を見渡せばあちこちに、土砂や岩石が崩れて植生が失われ、山肌が露出した崩壊地が見られ、林道には崩れた岩屑が散らばります。右下の写真は弊社の古い治山事業で撮影されたものです。ゴーロと呼ばれる石ころが数百メートルも続く沢。このような荒れた山の景色もまた、この地域の景観を特徴づけるものであり、冒頭のような美しい景観と共に豊かな自然景観を構成しています。

赤沢 昭和54(1979)年頃

赤沢 昭和54(1979)年頃

容易に崩れて砂礫となる岩

容易に崩れて砂礫となる岩

周囲の山々より野呂川本流に注ぐ数十もの支流は、斜面上部の崩壊地で発生した土砂を下流へと運び、その一部は野呂川に流入してさらに下流へと運ばれて行きます。私共が関わっている治山事業は、このような山腹崩壊地や荒廃した渓流を復旧し、下流への土砂流出を防ぎ、災害から人命や道などを守ります。下の写真は、野呂川の本流に敷設された治山ダムです。ダムが土砂をためるとともに渓流の勾配を緩やかにして、下流への急激な流出を抑制しています。

構造線と南アルプス

野呂川本流の治山ダム(奥仙丈沢合流点直下, S51施工)
平成29年頃

当地では古くから土砂災害が毎年のように発生して人々の暮らしを脅かし、林地の荒廃も甚だしいものでした。このような災害から流域の暮らしを守り、山や林道を保全して森林の営みを守るため、明治時代から治山事業が営まれてきました。弊社(前身の組織を含む)は、昭和30年代から継続して野呂川地域の治山事業に関わってきました。支流域の調査、治山計画の策定、治山施設の実施設計、既設の施設点検などの業務が含まれます。

昭和37(1962)年カレイ沢調査

昭和41(1966)年シレイ沢調査

昭和46(1971)年西広河原沢床掘

数ある山地災害のなかでも、昭和57(1982)年8月の台風10号による災害は特筆すべきものでした。区域内全域で昭和34年から整備されてきた治山施設の多くが被災した他、山小屋や道路、発電施設に甚大な被害をもたらしました。この災害は「57災」と呼ばれています。野呂川支流の西ゴーロ沢でも、山岳地の上部で想定を超える山腹崩壊が発生して土石流となり、中流域に設置されていた治山ダムをも破壊して大量の土砂が流出しました。下流の広河原では駐車場が土砂で埋まりました。

西ゴーロ沢の災害復旧治山事業では、弊社社員が計画・設計を行いました。施工当時の写真を見ると、沢の入口から1㎞あまり上流まで、治山ダムの並ぶ様子は壮観です。しかし、治山事業の目的は、沢を安定化し荒廃を復旧することであり、施設はやがて回復した森に包まれ、緑に覆われてその存在感を失っていきます。現在まで沢は安定を保ち、周囲の森は健全に保たれています。

完成後の状況(昭和60年頃)

完成後の状況(昭和60年頃)

緑化された状況(平成24年頃)

緑化された状況(平成24年頃)

被災時の状況

被災時の状況

被災時の状況

被災時の状況

完成後の状況(昭和60年頃)

完成後の状況(昭和60年頃)

緑化された状況(平成24年頃)

緑化された状況(平成24年頃)

このように、治山施設は荒廃した森林を回復させるために作られます。下の3枚の写真では、治山ダムにより荒廃渓流が安定化し林地となった様子、また、崩壊した山腹が土留工により安定化し、緑が回復している過程がわかります。

たゆみない努力にもかかわらず、野呂川流域では今も繰り返し新しい山地荒廃や、すでに施工済みとなった施設の被害、これに伴った荒廃が発生しています。下図は平成29年当時の治山事業全体計画図です。緑の部分が既に施工された治山施設で、流域にいかに多くの治山が施されてきたかがわかります。今なお隆起が続いているこの山岳地においては、災害から暮らしや森を守る営みが、終わることがありません。

平成29年当時の
治山事業全体計画図

※クリックで拡大

令和元年10月に付近を通過した台風19号は57災以来の豪雨を伴い、区域内では治山施設や林道に多大な被害が発生しました。野呂川支流の小樺沢では、中流の崩壊地で約1.8 haの大規模な拡大崩壊が発生しました。崩落土砂約39万m3は9基施工されていた治山ダムの大部分を破損・埋没し、本流との出合いで県道37号の橋梁に迫りました。橋は間一髪で破損を免れましたが、渓床には多量の不安定土砂が堆積しました。令和元年以降、極端な豪雨が発生していないことから堆積土砂は徐々に流出していますが、未だに土石流の発生が懸念される危険な状態が続いています。弊社は令和2年から3年にかけて小樺沢区域の調査・測量・設計を行いました。

県道小樺橋

県道小樺橋。流下土砂が直近まで達している。

県道小樺橋。流下土砂が直近まで達している。

県道小樺橋

衛星写真およびUAV 撮影による
拡大崩壊前後の写真(合成)

拡大崩壊後(令和2年)

拡大崩壊前後

衛星写真およびUAV 撮影による
拡大崩壊前後の写真(合成)

拡大崩壊前(平成30年)

衛星写真およびUAV 撮影による拡大崩壊前後の写真(合成)

事業平面図)
事業計画平面図(赤が計画施設、緑が被災した既存施設)
現況縦断図
緑色で示された既設治山ダムの多くは土砂により破損・埋没した
事業計画縦断面図
事業計画縦断面図(赤が計画施設、緑が被災した既存施設)

多くの支流を抱える野呂川地区では、今も継続的な治山事業が、既存の治山施設の修復・補修を含め行われています。下の写真は、令和5年度の施設点検の様子です。

南アルプス林道をゆく

ドローンを使った施設点検

脚注

※1 フォッサマグナと糸魚川静岡構造線

 日本列島の「もと」は、新第三紀の2000万年~1500万年前頃に、アジア大陸から離れ、太平洋へ向かって移動しました。西南日本は時計まわりに回転、東北日本は反時計まわりに回転し、大陸との間が開いて日本海が拡大しました。そのとき、本州中央部は折れ目になって東西に引っ張られて数千メートルも落ち込み、海底の地層が厚く堆積しました。この本州中央部を南北に横断する、新第三紀以降の地層に覆われた地帯を、ラテン語で「大きな溝」を意味する「フォッサマグナ」 といいます。新第三紀の変動に注目するときは、フォッサマグナ地域で東北日本と西南日本に分けています。

フォッサマグナ1

フォッサマグナは幅広い地帯です。フォッサマグナの西縁の断層を糸魚川‐静岡構造線といいます。東の縁は柏崎市から関東平野の地下の千葉付近を結ぶあたりにあると推定されていますが、新しい時代の火山岩や関東平野を埋めている堆積物の下に隠れていて東縁の正確な位置はまだよく分かっていません。

フォッサマグナ2

引用:「大鹿村中央構造線博物館」ホームページ, “日本列島の骨組みを組み替えた大断層”のうち” 糸魚川-静岡構造線とフォッサマグナ”. 2019-04-20. https://mtl-muse.com/mtl/aboutmtl/tectnic-lines/#istl, (参照2023-12-15)

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※2 中央構造線

 中央構造線は、長大な断層です。「断層」というのは、大地の中のズレ目をいいます。「構造線」は、「断層」のうち、たくさんずれ動いた結果、両側に違う岩が並んだ、異なる地質の境界線になっている断層をいいます。中央構造線は、日本がまだアジア大陸の一部だった中生代白亜紀の1億年~8000万年前頃に誕生した長大な断層です。海溝と平行に関東~九州へ続き、西南日本の地質構造を大きく二分しています。
 内陸側を「内帯(ないたい)」、海溝(現在は南海トラフ)に近い側を「外帯(がいたい)」に分けられています。1億年の歴史の中で、何度かの活動期があり、その度に、異なる方向にずれ動いてきました。「中央構造線」は、250万年前ごろから始まった現在の地殻変動を起こしている力を受けて、現在一部の区間が活断層になっています。

中央構造線

引用:「大鹿村中央構造線博物館」ホームページ, “中央構造線ってなに???”. 2019-04-18. https://mtl-muse.com/mtl/aboutmtl/whatismtl/ および “日本列島の骨組みを組み替えた大断層”. 2019-04-20. https://mtl-muse.com/mtl/aboutmtl/tectnic-lines/, (参照2023-12-15)

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※3 出典:「平成26年度 世界自然遺産候補地詳細調査検討業務 報告書」(一社)自然環境研究センター, 2015年1月, https://www.env.go.jp/content/900493589.pdf